戦前なら清原和博は無罪! 覚せい剤の罪と罰

頭脳の明晰化! 作業の亢進! 疲労除去! 睡気一掃! ……そんな夢のような薬が戦後まで薬局で売られていた。ヒロポン、今でいう覚醒剤である。

川口友万| Photo by Tomokazu Kawaguchi

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ヒロポン
古い科学雑誌に掲載されたヒロポン錠の広告【写真:川口友万】

 現代の日本では、覚せい剤を使った人=社会の敵、人間のクズである。

 覚せい剤通報キャンペーンのコピーが「覚醒剤やめますか、それとも人間やめますか」なので、覚せい剤を使ったら最後、人間ではなくなってしまうのだ。

「覚醒剤打たずにホームラン打とう」のはずが、ホームラン打たずに覚せい剤を打ってしまった清原和博容疑者も、人間じゃなくなってしまったので、社会復帰が大変だ。

 しかしある時期、日本では覚せい剤が合法だった。

 覚せい剤取締法が施行されたのは昭和26年(1951年)6月30日のこと。

 覚せい剤=アンフェタミン製剤が『ヒロポン』の名前で大日本製薬から販売されたのは昭和16年(1941年)。

 戦争を挟んで10年ほどだけ、覚せい剤は社会的に許可されていたのだ。

 どのくらい社会的に認知され、許容されていたのか? 戦前戦中の古い科学雑誌を読んでいたら、なんと広告が出ていた。

 カストリ雑誌や大衆誌ならともかく、科学雑誌(しかも科学朝○である)に広告とは、覚せい剤に対して、社会にまったくのマイナスイメージがなかった証拠だろう。

 広告によれば、「戦時活動への拍車」をかけるヒロポン錠(錠剤だったらしい)は、「いまだかって知られざる特異なる中枢性興奮作用を有する最新の薬剤」であり、「気分爽快・明朗」となり、「意思の奔流、思考力の増強を来し」、さらには「体力の高揚と作業欲の亢進」(以上、一部、現代漢字に置き換え)を促すというのだからすごい。

 とにかくむちゃくちゃに働けて、しかも疲労感がなく、眠くならないというのだから会社にとってはありがたい話である。

 ブラック企業のブラックな職場でも、文字通りに休まず眠らずに社員が働くのだ。

 産業界から「異常なる注目と愛用を喚起しつつある」というのも当然。

 そんな夢の薬も、ヒロポンを5本打った(注射版も販売されていた)有名漫才師が死亡したり、習慣性があって使用量が増える傾向があり、急性ヒロポン中毒によって異常な心拍亢進や呼吸困難を起こして入院する例が増えると、医学界からストップがかかるようになった。

 この当時より芸能界や文学界、落語家などにはヒロポン乱用者が多く、鳥の鳴かない日はあっても、朝夕のヒロポン注射を打たない日はないという大女優もいたと、当時の医学論文に書かれている。

 やがて、覚せい剤による疲労回復や、眠気覚まし効果は単に疲労を先送りするだけであり、深夜労働も労働効率という点ではまったく評価できないこと、常用者の多くが犯罪者や犯罪者予備軍であることなどが知られ始め、法的に禁止されるようになるのだった。

 頭が良くなって疲れないなんてすごい薬と思われた覚せい剤だったが、結局、そんな魔法のような薬はないことがわかるのだった。

 もし誰かに、すぐに疲れが取れる薬があるよ、なんて言われたら、まず覚せい剤と疑ってかかった方がいいのである。

取材・文 川口 友万

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