【月刊ムー編集長 三上丈晴 VS と学会重鎮 皆神龍太郎】 最終回「ムーはオカルトではない、哲学である」 (全3回)

どっぷり理系のオカルティスト対談も最終回。月刊ムー編集長の三上丈晴氏とトンデモ本を批判的に楽しむ団体「と学会」の皆神龍太郎氏のビッグ対談!

川口友万| Photo by Masahiko Taniguchi|シリーズ:月刊ムー編集長 三上丈晴 VS と学会重鎮 皆神龍太郎

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安心してください、哲学ですから!

ムー03
三上丈晴
月刊ムー第5代目編集長。筑波大学自然学類卒。『歴史群像』編集部3か月を経て、入社1年目から『ムー』編集部。2005年に5代目編集長就任。テレビ、ラジオへの出演も多く、昨今のオカルトブーム再燃は三上氏の多大な働きによる。
【写真:谷口雅彦】

皆神:三上さんは、「ムーはオカルトではない、哲学である」って言ってますよね。ある意味で言い逃れっぽくもありますけど、ある意味で正しい見方でもあるような気もする。

三上:なぜ思いついたというとね、梅原猛先生。

皆神:哲学者の梅原さん?

三上:梅原先生の言ってることはムーと変わらないでしょ! 隠された十字架とか怨霊史観とかさぁ。

 歴史学者みたいな人たちからコテンパンにやられ、民俗学者や寺は激怒する、みたいな。でも、最後は「安心してください、哲学ですから!」(笑)

※注 梅原猛は仏教を中心に東洋哲学を掘り下げた哲学者。『隠された十字架』では法隆寺を聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てられた寺と主張、歴史関係者の反発にあった。

皆神:哲学と言っちゃえば万能だからね。美学とか芸術に逃げ込まれると、もはや批判が成り立たない。

三上:哲学というのは、思想と宗教と美学ですから。

皆神:思想と宗教と美学だけじゃなくて、ムーには、科学記事もよく載ってるんですよ。
 
 みんな、あまり気がついていないみたいだけど。それで、ムーの科学記事って、実はかなり良い記事が多い。少なくても本筋のオカルト記事よりは、ずっと上質(笑)。

 強引なヨタ話が多い総力特集はあまり読まないけど、ムーの科学記事はよく読んでますから。
 
 なんで科学記事がムーに載っているんだって、科学畑の人は言うかもしれないけど、普通の人から見れば、オカルトも科学も摩訶不思議って意味で、その方向性にはあんまり差がない。
 
 普通の人の暮らしている普通の世界じゃないような何か、何物かがきっとその向こうにはある、いや、そこにあってほしいという気持ちと哲学が、人々をオカルトやサイエンスへと向かわせているんじゃないかと思うわけ。
 
 サイエンスとオカルトが対極にある、という見方は、世の中一般ピープル的には、やはりどこかずれた見方じゃないのかな。

 普通の日々の世界、自分たちの通常の世界の在り方にどこか違和感を覚えているような人たちが、目指す脱出口のひとつとして、オカルトやサイエンスがあるんじゃないのかなと思う。

三上:ニセ科学と正当な科学の違いとは何かってなった時に、じゃあ科学ってなんだって問われると、手法なんだという。手続きを踏んでいるかどうかが、正当な科学なんだと。

 そうでないものをニセ科学という。とはいうけどさ、それは誰が決めたんだって(笑)。なんだよ、その手順ってよ。

皆神:それは科学者がきめたということなんだろうけど。

三上:屁理屈だよね。それが科学だというなら、じゃあ共産主義は科学か? でもそれは自然科学じゃないからって科学に入れない。でも科学って手法なんでしょぉ?

皆神:ムーの編集長から科学の話が出たってことは、とても素晴らしいことですよ。昔、自分が大学で学んだ自分の尻尾のこともちゃんと忘れてはいない。

 でも、なぜか今はムーの編集長(笑)。この微妙さがなんともいえないのが、僕は好きだな。

三上:積極的幻想論(笑)。積極的ニヒリズムってあるでしょ? それに対する積極的幻想。まさに何かあって欲しいという。

 あって欲しい。あるだろう。あるに違いない、絶対あるっていう五段活用(笑)。

皆神:「それを我々ムーが書いてあげよう」ってね(笑)。でもよーく読むと「絶対あると思われるのだ」ってちょっと引いて書いていたりもするけど(笑)。

三上:びっくりはてな、みたいなね。

皆神:東スポと一緒だよね。

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